« 2016年8月 | メイン | 2016年10月 »

2016年9月

2016年9月30日 (金)

コンビニ人間

 村田沙耶香という若い女性が芥川賞を受賞した。文芸春秋に掲載された「コンビニ人間」を一気に読んだ。明らかに本人の実体験をもとにしたもので、非常によく解って面白かった。挨拶の仕方から商品の並べ方、客の要求の品を探す方法など、なるほどと思わせる。昇給があるわけでもないのにアルバイトで18年も務めるというのは異常だ。将来の保証は何もない。でも今はそういう人間が増えているのだと思う。出入りが激しいのだろう。文章表現で天気予報のことを「晴れの予定である」と書いたり、スタッカートなどという音楽用語を不用意に使ったりするのはいただけないが、全体としてわかりやすい文章で違和感はなかった。それにしても最近は芥川賞と言えば女性だ。芥川賞作家を量産してもしょうがないと思うが、3年に一遍ぐらいでいいのではないか。

2016年9月29日 (木)

新米が届いた

 吉田兼好と言えば「徒然草」である。吉田神社の宮司を勤めたという人だが、高校時代に読んだこの本のことがいろいろと思い出される。中でもよき友に三つあるという。一に医者、二に物くるる友、三に知恵ある友だったかな。最近の医者は薬をくれるだけだから、あまりありがたいと思わない。むしろ近くにいる元看護師がいいことを教えてくれる。会社の後輩が休日農業をして米を送ってくれる。それが今年も10キロ届いた。もう20年以上続いている。これはありがたいことである。中元や歳暮に贈ってももらうものにはこれと言ったいい物はないが、米は重宝している。三つ目の智恵ある友。比叡平というところは智恵のある人がたくさんいていろいろ教えてもらっている。

2016年9月28日 (水)

ケガの功名

 一丁目南の路肩事故のお蔭で毎日工事人が出入りしている。広い範囲で立ち入り禁止にもなっている。道路の補修が済んだら、重機を谷へ降ろして大がかりな法面の工事もするらしい。工事の監督者が面白いことを言った。以前来たことがあったのだろう、青い鳥の谷がきれいに整備されていることに気が付いたのだ。この機会に谷全体を危険地域として立ち入り禁止にしようと考えていたものだろう。それを思いとどまったものと見える。崩落した谷の周辺だけ規制すれば、後は利用を許しても大丈夫だと腹を決めたのだ。里山倶楽部が活動を始める前の荒れた谷を知っている者なら、そう考えるのが正当であろう。思わぬところで住民の活動が評価された。ガードレールに沿って歩いても缶一つ落ちていない。秋の澄んだ青空が広がってきた。

2016年9月27日 (火)

季節の巡り

 ゴミを出したついでに町内を歩く。どこの収集場所も剪定ゴミをたくさん出している。これでは回収も大変だろう。あ、この香りは何だろう、そうだキンモクセイだ。子供の頃から慣れ親しんだ香りは忘れることがない。犬の散歩をさせている人が来る。知らない顔だがお互い自然に「おはようございます」と声をかける。こちらは工事現場で通れないので迂回をする。そうだ、昨日アサギマダラを見つけた。たった一頭だったが、まぎれもなく季節の使者だった。フジバカマが咲き始めたから、間もなく群れでやって来る。しかし、今年の花は少ないので気にかかる。何とか言いながら、こうして彼岸が過ぎると確実に季節が廻って来る。自然の不思議を感じる。一面にススキが揺れている。ムクゲはまだ花が続いているが、間もなく10月だ。

2016年9月26日 (月)

ヌルデとウルシ

 漆にかぶれるタチとかぶれないタチがある。私はかぶれる方で、子供の時から何度も体中が膨れ上がった。少し触っただけでもすぐにかぶれた。ところが漆を商売にしている人は汁をつけてもかぶれないという。山に分け入って何気なく触るのが一番危険だ。今ではどれが漆かよく分かっているので、めったなことはない。漆によく似た灌木にヌルデ(白膠木)がある。これは避ける必要がない。杉の木などに巻きついている蔦漆は気を付けないといけない。そんなことを学習しながら秋の深まった山を歩いた。一人で歩くことが多いが、大勢でわいわいしゃべりながら歩くのも楽しい。アケビが色づいていたが、いずれも高いところで手が届かなかった。山蔭に入ると色とりどりのキノコがたくさん見つかった。これは食べられるかどうか判定が難しい。観賞にとどめた。

2016年9月25日 (日)

小さな親切大きなお世話

 バスに乗ると車内放送がうるさい。「停車するまで立たないでください」とうるさく繰り返すのがわずらわしい。もちろん録音してあるのだが、運転手によってはしゃべるのが好きなのがいる。ワンマンだから何をしゃべろうと勝手だ。乗客の二人連れも乗った途端しゃべりだすので、結構賑やかになる。話題はいつも自分の身体のことばかり。ごくろうさんです。市バスに乗ると「定刻に来ない時があるので承知してください」と当たり前のことをくどくどと放送するので嫌になる。女性の声はなぜあんなに舌足らずなのか。総合でなく「ソウコウ庁舎」と聞こえる。最近はすぐ席を譲られるようになった。短い距離なのに親切なことだ。はじめから座らなければいいのにと思う。ああ年は取りたくないものだ。

2016年9月24日 (土)

蓼食う虫もすきずき

 秋の野にはイヌタデの赤い花が乱れ咲いている。俗称アカマンマと呼ばれる種類が一番多い。よく見ると可愛い花だが、あまり振り返ることがない。庭に大きなオニタデを植えているところもある。山道にはヤナギタデがひっそり咲いているが、これが蓼酢の元になる。サークルK東側の調整池にはサクラタデが咲いているが、囲いが出来て入れなくなった。これが一番美しい。ところがいずれも辛みがあってシカは食べない。谷崎潤一郎の小説に「蓼食う虫」というのがあるが、人の好みにもいろいろあってわからないものだというところか。つまり辛い蓼はとても食べられたものではないが、そんなものを好き好んで食べる虫もいると言っている。人の好みにケチをつけてはならないという教訓でもあるだろう。

2016年9月23日 (金)

よいつき合いをするために

 友人に「お金を貸してください」と言えば、たいてい嫌な顔をされるものだ。ところが「ちょっと智恵を貸してくれませんか」と言えば、「私で役に立つことなら」とこっちを向いてくれる。なぜなれば、知恵を貸してほしいという言葉の中に(あなたは聡明な方で日頃から尊敬しています)というメッセージが含まれている。つまりほめ言葉なのだ。人間いくつになっても知らないことが多い。それをいまさらこんなことは聞けない、ましてあんな奴から聞けるかとふんぞり返っていると、頭が老化してしまう。要するに人とうまくつき合うことで自分自身が成長しているという、素直な気持ちを持てば、人間はいつまでも進化できるということだ。年上の人からは人生経験を、そして若い人からは新しい感覚をいただこう。

2016年9月22日 (木)

赤とんぼ

 9月21日は恩師の命日になる。黒谷の西翁院にある墓地へはもう20年以上も欠かさず通っている。銀閣寺道の井上花壇で花を買って、神楽岡通りを歩いた。明日が彼岸の中日のせいか、お参りしている人はほとんどいなかった。線香を立ててから「赤とんぼ」の歌をうたう。故人は三木露風が好きで、この歌がゼミOB会のテーマソングになっていた。催しがあると私が歌唱指導をするのが常だった。

 夕やけ小やけの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

 家庭に恵まれなかった露風は若くして故郷を離れ、北海道の修道院に入ったという。この歌は望郷の気持ちを込めて、大正10年に作られた。山田耕筰作曲である。

 山のはたけの桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか

 歌声はこだまして流れていった。

2016年9月21日 (水)

小人閑居して不善をなす

 先人が残した教訓には意味深いものがある。「小人閑居して不善を成す」これはどういうことだろうか。「小人」つまり我々凡人は、暇を持て余しているとろくなことを考えない。仕事を任せる時は忙しい人に頼むべきであって、暇人に頼むとろくなことはないともいう。東京都の豊洲問題を話題にしていて、いったいなぜこんなわけのわからないことが発生するのか。なぜ責任のなすり合いをしてもめるのかを考えたとき、要するに暇なんやと喝破した人がいてなるほどと腑に落ちたわけだ。盛り土をしなかったとかきいていないなど、初歩的なことが放置されていた。何年も前のことが蒸し返されている。議員さんは居眠りしていたに違いない。富山の議会でも政務費の不正受給が発覚して、次々と辞職が出ている。これは他人ごとではない。世の中ヒマな人が多い。