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2017年1月

2017年1月31日 (火)

関西よつ葉連絡会

 比叡平の人は食料品や日用品をどうやって調達しているか。20年ほど前にはKマートというスーパーがあったし、セブンイレブンもあって便利だったがいずれもなくなった。今は京都側の端にファミリーマートがあるだけだ。車のある人はどこへでも出かけていく。そこはよくしたもので、生協をはじめとする予約販売が大はやりである。我が家では比叡平へ転居した時から、関西よつ葉連絡会を利用している。はじめはスーパーと併用していたが、今はもっぱらよつ葉だ。一週間前に予約する方法を採っている。だから肉や魚はすべて冷凍品である。冷凍技術が進んでいるので、新鮮なもの同様に食べられる。日用品も大半買っているので、バスで重い荷物を運ぶことはあまりない。現物を見ずにカタログだけで購入する方法は、これからどんどん増えるだろう。

2017年1月30日 (月)

イヌの糞を捨てる人が一人減った

 一丁目南のガードレールに沿った車道は、眺めもよく散歩する人も多い。以前からこの南斜面は、大小のゴミ捨て場だった。それが今は空き缶一つ落ちていない。ところが昨年秋、広告紙にくるんだイヌの糞が毎日のように捨てられ始めた。それはその都度丁寧に拾っていたが、とうとう現行犯を見つけた。「ちょっと待ってください。ここはみんなできれいにしている所ですから、イヌの糞は持って帰ってください」とやさしく呼びかけた。その老人は黙って立ち去った。数日後同じ人に出会った。あちらから挨拶してきた。「ちゃんと袋を持って歩いていますよ」と笑っていた。丸めた広告紙は見つからなくなった。ここにはポイ捨て禁止の看板は一切ない。何気なく捨てていた人はそんなに悪い人ではなかったのだ。彼はもうゴミを捨てるような真似はしないだろう。

2017年1月29日 (日)

オオカミ老人がいる!

 昔ある村に一人の少年がいた。ある日近くの山に登っていて「オオカミが来た!」と叫んだ。それはたいへんだというのでみんなが総出で鉄砲を持って出かけた。オオカミはいなかった。どこかへ逃げたという。そんなことが何度か続いた。その都度大騒ぎになったが、いつも空振りだった。少年がウソをついていることがわかったので、もう少年が叫んでも誰も応じなくなった。比叡平にも同じようなウソつき老人がいることが分かった。ちょっとした事件が起こると大げさにタレこみの電話をかける。近所に言いふらす。なぜ警察が来ているのか、不審に思うことが何度も起こっている。「土砂崩れが起きたのは里山クラブが木を切ったためだ」ともっともらしいウソを流したのもオオカミ老人だったのだ。こういうのを愉快犯というのか。人騒がせを起こして喜んでいる。

2017年1月28日 (土)

南志賀の朝市会

 朝市といっても市場のことではない。比叡平のすぐ下の南志賀の農家がグループを作り、何組かの夫婦が交替で軽トラに乗って野菜を売りに来る。だから金曜日の朝は出来るだけ自宅で待っていることにしている。毎回わずかでも何か買っているので必ず声をかけてくれる。昨日は葱、小松菜、蕪などを買った。自家製の寒餅や漬物なども持っていた。スーパーへ出すには形がよくないが、全部で500円だから安い物だ。ついでに雑談をする。大伴さんは長年クラリネットを吹いていたという風流な人で、管弦楽を聴かせてもらったこともある。最近は彼が中心になって山林保護の運動も始めているらしい。自宅の庭に竹材などを集めて子供と一緒に竹細工などを作っている。私と趣味が同じなので話が合うのだ。最近はメールで情報を交換することもある。

2017年1月27日 (金)

琵琶湖周航の歌100年

 旧制第三高等学校の寮歌「琵琶湖周航の歌」を巡って、にわかに賑やかな空気になってきた。「我は湖の子さすらいの 旅にしあればしみじみと・・・」で始まるこの歌は、長らく京大などのボート部関係者だけが合宿でうたう歌だった。それが加藤登紀子が歌ってヒットしてから全国的に歌われるようになり、今では滋賀県の県民歌とでもいう感じで親しまれている。そこへ今年6月には歌が出来て100年になるということで、いろんな記念行事が行われることになった。長浜に記念碑が建つ、京大OB会が周航する、高島市では記念集会があって大いに歌うという。合宿の行われた今津が中心になって協議会までできたという。実はコーラスをやる私たちも混声、男声で練習を始めている。琵琶湖の自然環境を守るという観点からも、この活動は歓迎したいものだ。

2017年1月26日 (木)

毎日テレビの報道

 1月23日(月)夕刻の毎日テレビのニュースで、比叡平の崩落事故のことが報道された。残念ながら私は見なかったが、見た人の話では近くに住む住民が「バス停が遠くなって不便だ。工事の進行が遅い」などの不満を漏らしていたという。物事にはいろんな見方があるので、そういう意見が出てもどういうこともない。ただあえてこの時期に、何か問題があるような報道が一方的になされたことに不信を抱く声もあるようだ。臨時のバス停は出来ているし、間もなく谷間の水路の舗装工事もはじまるというから、通常の進行になっているわけだ。つまり、住民の生活に著しい困難が生じているわけではない。それでも何か問題があるということにしないと面白くないのだろう。報道する側の都合だけでニュースが作られるということを教えられた気がする。

2017年1月25日 (水)

しゃべるが勝ち

 私は子供の頃、寡黙だった。姉たちはみんな朗らかでケラケラとよく笑い、歌ったりしゃべったりしていた。ところが兄たちは一様に無口で笑顔も少なかった。そういう時代だったのでそれが普通だと思っていたが、私は特に頑固で親に叱られると一日ご飯も食べず黙っていることがあった。表情を変えることが少なく、滅多に泣かなかった。朗読や弁論では大声で話したが会話が苦手だった。大学でコーラスを始めてから変わった。結婚してからはあけっぴろげな妻がいて、明るくなった。それでも会社時代は二重人格で本心を他人に漏らすことがなかった。ようやく心の中と表情が一つになって、自然にしゃべるようになったのは定年退職後だった。今はいろんな活動を積極的にこなし、思った通りのことをしゃべっている。しゃべるが勝ちだと信じている。

2017年1月24日 (火)

ジョニーへの伝言

 昨年春、長年付き合っていた会社の後輩が死んだ。もう同年配でなく後輩が死ぬようになった。60代半ばだった。高校大学と秀才で通したらしいが、会社では鳴かず飛ばずで酒ばかり飲んでいた。結局一切の役職に就かず平社員で定年退職した。唯一の趣味は将棋で近所の少年に教えていたという。私とは年が離れていたが気が合って飲んだり歌ったりする機会が多かった。飲めば必ず「ジョニーへの伝言」をうたった。昭和48年ペドロ&カプリシャスのヒット曲だった。

  ジョニーが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと 

  わりと元気よく 出て行ったよと

  お酒のついでに 話してよ・・・・

 青春の思い出がいっぱい詰まっていたようだった。憎めない男だった。

2017年1月23日 (月)

トランプ大統領の評価

 メキシコに近い国境の街で市民にインタビューをしていた。直ぐそばには簡単なフェンスがあって、国境を超えるのは容易だと思った。ヒスパニックも黒人もそして白人も、みんな一様によく肥えているのにまず驚く。ハンバーガーだけで食事をすませる貧しい人たちが増えているのだ。これはオバマ8年の責任である。その中で成功して教育を受けているヒスパニックも確かにいる。百年先にはヒスパニック系の大統領が誕生するかもしれない。職を失った白人は絶望的にトランプに期待をかけて投票したことがわかる。トランプ大統領でよかったかどうかは、おそらく半年ほどすればはっきりするだろう。掛け声だけの空念仏の次にいったい何が出てくるか、それを待っているのだ。

2017年1月22日 (日)

人権落語

 21日(土)の朝から人権協議会で講演会を予定したが、天候がはっきりしない。風雪警報が出たりすると公共機関では会場使用が禁止される。ということで自治会館まで手当して備えた。これでは人が集まるかどうか心配だ。朝から雪がちらついてはいたが、どうやら予定通りに開催できて30人ほど集まった。なんと吉本興業に所属する落語家の話である。通常は人気のあるバス研修の代わりに行われた。話はことばの使い方に関するもの。人権問題の広がりによって放送禁止用語が増えている。人の心を傷つけないやさしい言葉を使おうという運動が、かえって自主規制になって過剰に黙る動きまで出てくる。今は「見ざる言わざる聞かざる」の戦争中の不自由が広がっているのではないか。人権を守るということは真の自由を守ることでなければならない。